真空管アンプの製作について
彼是三十数年真空管と楽しく、又ある時は自分の知識の無さを棚に上げて、恨めしく配線図とシャーシーの中を何時間も眺めて溜息を漏らし、気が付けば白々と夜明け、といったことが何度もありました。
しかしある時、ほんの些細なことから結局音質を左右しているのは初段からドライバー段までの回路であり、出力管の差は微々たるもであることに気付きました。確かに五極管(4極ビーム管も含む、以下同様)と三極管の違いは明確で、前者はロックやJAZZの好きな方にはNFBをたっぷり掛けてやればOKでしょうが、クラシックや大人のボーカルでは、ちょっと聴きには迫力あるように聴こえますが、長時間音楽に浸るには表面的な押し出しの強い音で、音楽そのものに深く入ることができない。しかしパラレルPPでULにすると、昨今の能率の低いスピーカーならOKでしょう。更にドライバー段までの回路を突き詰めていくと、無帰還でも充分通用する音になります。ただクラシックを聴く場合、無帰環であればやはり三結でないと弦の再生に於いてはどうしてもざらつき感が残ります。単に五結のままだと多量のNFBを必要としますのでコケオドシで鳴らすにはいいでしょうが長時間聴いていると押し付けがましくて嫌になります。
JAZZで言えば丁度「某・レコード」と同じ様な音で、押し付けがましく横一直線の音で「うねり」が感じられない。こういう「こけおどし」の音を「JAZZ的」などと言っている人に、単なるオーディオファンや、JAZZは聴くがクラシックは聴かないという人が多いのは偶然ではない様に思う。「うねり」のない音楽などあるのだろうか?このレーベルで録音したピアニストが「私は貴社では二度と録音しない」と言ったとか?もし事実なら彼は精神科医でもあり気持ちはよく解かります。CD一枚聴き通すには別の意味で精神力を必要とします。アナログ?レコードも発売しているが、実はデジタルマスターを、わざわざアナログテープデッキに再録して作っているという偽物?「アナログサウンドで味わう名演」などと宣伝されているが、あえて言えばインスタント食品と同じで、デジタルレコードと表記すべきと思われる。針で再生するからアナログ、などと若い人や門外漢を騙してはいけない。もう立派な詐欺行為である。「EIGHTY-EIGHT’S」レーベルのアナログ2トラック・ハーフ・インチ・マスターからカッティングされたアナログLP盤からみれば明らかに偽物である。
CDも同様で、全帯域で抜けきらない音、つぶれた、「へんてこ」なピアノの音色!音楽的センスはゼロである。
話がそれました。直熱管と棒熱管、あるいはバイアスの深いものと浅いものにも微々たる違いが確かにありますが、これも前段を突き詰めていくとソフトの違い程感じられなくなります。自作の、Edシングル・F2aパラレルPP(3結andUL)・6550パラレルPP(3結andUL)・339A(3結andUL)・845パラレルPP等の各音質は小音量での質感はシングルとPPの2次歪みの問題?を除けばさして変わりありません。確かにFFでは出力の大きい方が余裕のある音がしますがそれだけのことです。Edシングルのシャーシーは、339A、2A3、その他でシングルやパラが使える様に出力管の部分はサブシャーシーの構造にしてある。339Aは、あの300Bの親分?であり直熱管の5極管であるが、3結にしてもEdの倍近い出力がある。確かにFFで余裕はあるが音質そのものにさしたる違いはない。もしかすると2A3パラが良いのでは?と思ったりもする。
安井先生が、845PPトランスドライブの記事で、ドライバートランス前段の6CA7を6550に変えると、更にゆったりとした音になる・・・・・・と書かれています。ご存知のように6CA7と6550ではバイアスが倍近く違います。結果的に音質上では押し出しが弱くなった、とも言えます。勿論先生もご承知の上で書かれています。
つまり、6CA7と6550の管自体に音色の差があったのか疑問ですし、最終的にどちらが845の本当の音なのかも疑問?ということになります。
それとも、単に2段、3段という増幅段、位相反転、トランスドライブといった回路構成の問題か?
845と211をバイアスのみの変更で差し替え可能という記事もよくありますが、これも同じ事で、ドライブ電圧を無視した状態で果たして両管自体にどれ程の差があったのか?
上記各シングル、パラレル等もドライバー段までの回路は同じですが、出力管のドライブ電圧がそれぞれ違いますから、各々に充分な設計であることが前提となります。異なる回路、ドライブ電圧、或いはNFB量の多少、それによる位相補正の差、等々で出力管や出力トランス(損失の大小もある)の音質を云々しても意味の無い事と考えていますし、日々NFBのたっぷり掛かったアンプで聴かれている人と、例えばデジタルとアナログの音の違い、結果的に演奏の違いなど論議しても平行線でしょう。
あくまでも無帰環の状態でとことん突き詰めていくことが最重要課題であると改めて痛感させられます。製作したアンプがNFBの掛かったアンプであれば、まずそれをはずす。ゲインが上がるから、例えばCDなら、プリのフラットアンプを通さず、VR付きならダイレクトにメインアンプにつなぐ。聴くに耐える音であれば良いが、とてもその状態で聴くに耐えないなら、実は其処から初めてアンプの製作が始まる。其処までの作業は単に半田付けをしただけであって製作したとは言えない。臭いものに蓋をしても意味が無い。そんなアンプで、自身をさらけ出している芸術家の発する音楽が聴けるとは思わない。12AX7等インピーダンスの高い球の使用は避ける。特にプリアンプではS/N比で有利であり、一聴迫力のある音がするが、聴いていく内に押し付けがましく感じるようになる。聴感上も素直なレンジの広さが感じられない。12AU7等と一段のアンプを作って聴き比べれば品のないその音には失望させられる。メインアンプで初段に5極管を敢えて使う理由も解からない。余ったゲインでNFBを掛け、言ってみれば歌舞伎役者の女形のようにとりあえず化けることはできるが見かけだけの数値に満足すると一生もののアンプにはならないように思います。
なぜNFBを掛けなければならないのか、原点に帰ってみることが必要なのでは?
NFBに関しては過渡歪の問題も重要です。
過渡歪については、安井章先生が製作記事でも常に語られています。無断ですが、その記事の一部分をここに掲載させていただきます。
「過渡歪は信号の周波数やレベルの変化する際に生じ、変化の直後が最も大きく、次第に減衰します。これは演奏家の指や弦が鍵や弦にタッチした直後の再生音で、最も過渡歪が大きいことを意味します。ところがこのタッチの瞬間は演奏者の曲への想いが最大限に表現される箇所で、演奏における最も重要な聴かせどころと考えることができます。・・・・・・・」
これを少なくする方法は、無帰還かせめて低帰還ということになります。
そしてこの点にも、微細な変化故に、デジタルの大きな問題点がある、と言っても過言ではないと思います。
これまで製作させて頂いたアンプで、僅か3から6dbぐらいNFBが掛かるSWを付けるのですが、コードの吟味等、周辺をきちんとすると、どなたもそのSWをONにする人はおられないのです。
追い込んだ回路なら、6dbぐらいだど補正は必要ないでしょうが、その分VRを上げると、無帰環に比べればやはり抑圧された音で、更に音量を上げると団子状の音がさも迫力があるかの様に聴こえるばかりです。一度抜けの良いさらっとした音を聴くと、何故か戻れなくなってしまうようです。
遠くからは美しい森と見えても、近づいて見ればそれぞれの木々の幹や枝、葉が傷付いていれば、少なくともクラシック音楽の核心に迫ることはできないでしょう。
JAZZ一辺倒の時は「楽器そのものの音色の多彩さ」ということにはあまり感心がいかなかったのですが、ワンパターンのアドリブのフレイズに飽きてクラシックを聴くようになり、初めて音色そのものの奥深さを知ったのです。其処には息を呑むような美しさと緊張感と静寂がありました(ほんの一部のモダンジャズとフリージャズにはありますが)。無帰還で聴くに耐えないアンプにNFBを掛けて、果たしてその様な芸術の域を聴く事ができるのか?固定抵抗負荷での歪みの打ち消しでOK?この時から回路(素子も含めて)の決定に際しては、バイオリンやピアノのソロの音で、刻々と変化する音色でチェックすることにしました。勿論アナログソースで。デジタルでは殆ど単なるエコー成分だけですから。バッハの無伴奏バイオリン、チェロなどは最適です。この様にして広帯域のアンプに仕上がると、例えばダンピングファクターなどあまり重要でないような気がします。
あくまでも無帰還で聴くに耐える音の場合、NFB はせいぜい3db、最大でも6db程度で充分な筈ですが、これを超えないとつっぱった感じ等がとれなければもう一度前段に戻ることにしています。この事は辰口先生がラジオ技術2003・10月号・P24から、「私の真空管アンプ論・T・NFBについて」で同じ様な意見を書かれています。ただ3dbあるいは無帰環の状態でOKとするには色々な面で苦労すること大で、例え無帰環であってもSPの癖等もありますから何処かで女性のお化粧でいう薄化粧を必要とします。回路的にどうするか、NFBを掛けたら落ち着いたからOK?この為には良質のアナログソースが必要であることは言うまでもありません。CDの場合は、せめて「フルエンシのDAコンバーター」、更に古河のPCOCCのコード、撚り線(単線は良くないように思います)で機器を接続することが必要です。ご存知のようにこのコードは単結晶であり、もしこのコードを使って何処かつっぱった、あるいは音量を上げると団子状になるのであればやはりアンプの前段に問題があります。NFBが多量に掛かったアンプ、定電圧電源を使用しているアンプではこれが更にはっきりと感じられます。レンジの広さも。
このレンジの広いことも誤解されることが多いのですが、レンジが広いということはただ周波数帯域が広いというだけでなく、ピアニッシモとフォルテの差が明確に再生されることと考えています。音量を上げると団子状になると言うことはこの差が少ないということであり、特に2ウエイのSPでは混変調が起こり中域が益々薄くなります。所謂「ドンシャリ」です。弱音がよく聴こえるから解像度が高い!などと思うのは大きな誤解で、ピアニッシモとフォルテの差が少なくなっただけで、FFの音量を同レベルにするとPPが上がった為に、PPの音がよく聴こえるからであって、その結果躍動感、言うなれば音楽の「ノリ」を貶めていることに気付かないと、演奏の「うねり」を聴き逃すことになる。前記した某ソフトメーカーの音と同様に。
しかも、そんな回路に解像力?を上げる為か?或いは押し出し感を得る為か?正帰還を施したアンプもある。その上に更に負帰還、コンデンサー型やエッジレスのSP用なら別だが、何とも理解に苦しむ。
NFBというものは、SPとの整合で考えるべきで、普通のSPなら高帰還の必要性があるとは思えない。
まず洗顔をして汚れを落として、その後薄化粧をする、というのが正解ではないだろうか?無帰還で試聴に耐えない回路であるのに、安定したNFBが掛け難い出力トランスの問題点を指摘されている記事もあったが、確かに非常に良くなったとは言え、まだまだ問題点もあるだろう。しかしそこまで言われるのであればなぜ前段の回路上の問題点には蓋をしておられるのか?聴くに耐えない信号を加えて、出力トランスの性能を云々するのは本末転倒と言わざるを得ない。そういう文言が技術雑誌に平気で書かれているのだから恐れ入る。
電源等のコンデンサーに小容量のコンデンサーを抱かせることは、外来高調波ノイズのパスも含めて周知の事実ですが、これさえも多量のNFBのアンプでは聴感上効果の程が解かり難い。しかし測定上は充分に広帯域である。ということは基音、或いはサイン波はOKだが倍音は充分に再生していないということである。この様なアンプが如何に多いことか。こういうアンプで聴いてるから実はデジタルの音、SACDも含めて音が「抜けていない」と言っても理解してもらえない。倍音がきれいに再生できて初めて音は抜けるのであり、空気感や臨場感が感じられるし、ボーカルの子音もバイオリンもきつくなることなく自然に伸びる。擬似エコーの様な音に誤魔化されて、倍音や空気感が聴こえると勘違いされている方も多い。倍音が再生されると一聴柔らかい音のように感じるが、上手な奏者程一音たりともただ投げ出されていないことに気づく。特にクラッシクの場合速いフレーズで最後の一音までコントロールできているか否かは重要な問題であり、JAZZドラマーでも本当に上手い人のシンバルはきれいな音がする。それがJAZZ的でない!と言われればそれまでだが。
極端に言えば、NFBを掛け、位相補正をして方形波テストでリンギングがとれたとしても、その結果倍音は減った、と思った方が良い。聴感の良い人は第7次高調波まで聴きとれるとのこと。クラリネットのように次数と共に強くなる楽器もあるし、演奏者によっても高調波の出方は変わるから音色も変わる。写真はモノクロが味があるが、音色はグラデュエーションたっぷりのカラーでないと困る。
この様なことを考えればリンギングが発生したから補正をするのではなく、まずできるだけ発生しないようにすることが大切で、だからこそ低帰還か無帰還になるのは必然で、尚それぞれのパーツの吟味が重要である。
NFBによりスペック上の数値はアップしますが、無帰還の状態で、少なくともF特に関しては出力トランスのスペックと同等ぐらいにならないと私にとっては基本的な性能を満足していないことになります。レイオーディオのHP「GEIJUTSU AUDIO」のところで木下氏が述べられている様に、「自分好みの音の追求や組み合わせの妙味といったことで満足することは避けたい」と同感です。氏と同様に音楽から得られるものはもっと大きなものと考えています。
ソフトの音質差を無視して、好みの音、などと言っていては、演奏そのものを聴き誤る。
ヴィンテージ物と同様に、昔の録音はその頃の機器で聴かないといけない、などと言う人も居られますが、今尚真空管と格闘していると、過去の機器は周辺パーツの問題が殆どですし、果たしてその頃のエンジニアが再生機器のレベルを意識していたがどうかは疑わしい。その時の機材のレベルで最高の録音をしようとしたと思います。それならばこちらも現代の最高のレベルの音で再生するのが礼儀では?わざわざ昔の機器で聴かなくても、と思います。レンジの狭い古い録音を、レンジの広い機器で聴くと一体何が問題なのか、さっぱり解らない。記録された音しか再生されないではないか。
ギターアンプなどのように「あの機器の音」というのは別にして、ソフトに記録された音をできるだけ拾い上げようとすれば、真にヴィンテージと呼べるものはただ真空管のみでは。
最近過去のアナログマスターから、CDやSACDを作り、しかも「音楽的」などと言われているディスクが多数あります。ということは実はマスターテープには充分な情報量が入っていた、とも言えます。
例えば、無伴奏チェロ、フルニエの日本でのライブのりマスターCD(TDK、OC001〜2))。充分ではないが、これがチェロという楽器の音であり、昨今のデジタル録音の音は本当にチェロの音かと思わざるを得ない。2本の弦が鳴ったとき、そのハーモニクスさえ聴こえないCDが殆どである。
デジタル録音はダイナミックレンジが広く、ホールの僅かなノイズも拾う、などと言われるが、これ等のCDを聴くと一体何のことか?と思ってしまう。20Khz以上のことばかり言われているが、チェロでさえこうなのだ。要は全帯域の倍音であると私は思っている。
レコードの再生にしても、新しいプレーヤーや、カートリッジが発売されています。
果たして自分の再生装置のレベルがあれでよかったのか?今の装置でもう一度レコードを再生してみることも必要では?そうすればデジタル録音に毒された聴覚の再生があるかも知れません。丁度インスタントと手作り料理の違いのように。
真空管というのは、電力効率や大きさを除けば、実に完成されたデバイスです。昨今の周辺パーツの品質向上からすればまだまだ回路的な問題が大きいと思われます。
「実は情報量の少ない」CDで音決めをするなどという愚は犯すまいと。勿論まだまだ途上ですが、そういう気持ちなければあの「怒り」のページはありませんし、異議を唱える資格もありません。
多量のNFBによって中低域も過渡応答が悪くなったから量感があるように聴こえているのに迫力があると言う人もいるくらいで、こけおどしの音にだまされている人がかなりおられます。前記した様にエッジレスのSP、後面開放等は低域は弱く、中高域が強いですから、低域の過渡応答が悪いアンプの方が一聴ベターの場合もあったりしますが、勿論その場合も裸特性を突き詰めていれば低帰還でOKでしょう。
単なるBGM向きというのは理解できるが、JAZZ向きとかクラシック向き、と言うのも実にナンセンス。「こけおどし」と音楽の迫力を勘違いされている方も多い。
同様な事がカートリッジの世界でもありました、某社の針圧3gのもの。何しろ3g掛けなければカッティングレベルの高いものは歪みます。特に冬場はこたつ等で温めてから使わなければ満足なトレースは望めませんでした。昔、歪むレコードを添えて三回メーカーと往復しました。結果的に良くならず、それ以来他のメーカーに変えました。他社のカートリッジはきちんとトレースするのですから、果たしてまともにトレースしているのか、疑いを持たざるを得ません。3gですから当然過渡応答が悪く低域では量感が出ます、少し高域でしゃくれさせてあるので抜けは良い様に感じる、実に上手い音作りでアンプが悪くても誤魔化せます。これを評して「大人の音」であるという迷言を残された評論家がおられましたが、これで例えばギターのソロを聴いたとします。量感があって聴き易いですが、2gのカートリッジで聴くと俄然速く弾いた様に聴こえます。切れ味もよく、かと言って1gのものではさすがに量感が不足します?どれが本当なのか本人のみ知るでしょうが、いずれにしても3gのものはあまりにも過渡応答が悪くだらだらとした演奏にしか聴こえません。その場に居合わせた持ち主の人はイニシャル入りのこのカートリッジの格好いい木製の箱を二度と開けることはないと恨めしそうでした。
このようなカートリッジで「レコードを聴いた」と思っている方は、ご自分の評価の低かったレコードを聴き直されると驚きの結果となるかも知れません。勿論その逆も。
コードに関してもう一つ。「怒り・V」にも書きました200万円超のCDプレーヤーの時の事。メーカー指定のコードで最初に聴く事になりましたが、出てきた音は何とも寂しい音で皆がっくり。音量を上げるとつっかかりのある団子状の音で,帯域もレンジも狭い、多分銀線の単線?実売5480円のポータブルより悪い、PCOCCに変えると自然で広帯域の音に。同じシステムでこれだけの違いがあるのですから、線材としてどちらが優秀か自明の理としか言いようがありません。しかし、尚、「怒り・V」に書いた通りどちらの機器が良いのかはソフトの違いにより判別は困難(同席した、まず音楽ありきの8人の弁)。
ある物理学の博士が音楽信号の様な複雑な信号に単線など使用すべきではないと書かれていました、難しい理論は解かりませんが音を聴く限りなるほどと思いました。これまでも何本か試聴しましたが納得できる結果でした。どうしてもその機器のスタイルが気に入っていると言われるのであれば、プリアンプからメインアンプそしてSPまではPCOCC
で接続し、例えばCDプレーヤーからプリアンプまでは自分好みの音質のコードで接続すればよいと思います。PCOCCはフラットでレンジが広いですからそのコードの音になります。200万円超のCD
プレーヤーでも証明されています。こうしておくと、もし又スタイルのいい機器がほしくなった時に借りてきてシステムに入れてみればはっきりと判断できます。その時は勿論全てのコードをPCOCCにして確認します。このようにして必ず良質のアナログソースを使って自然なバランスで鳴るものに換えていき、最後に自分の好きな音?のするコードを決めればよいと思います。
私の友人もコードに200万円ぐらい掛けました。しかし結局PCOCCに戻りました。特にアンプが私からすれば個性の強すぎる製品でした。それを更に個性の強いコードで繋ぐ訳ですから最終的に何処かの帯域でバランスを欠きます。全てをPCOCCにし、それらのコードを一本づつ入れてみると、例えば低域が締まったと思っていたコードが実は高域で品が無かったり等、冷静に判断ができるようになり、結局アンプの個性が強すぎるという結論に達しました。しかしそのアンプの外観は彼の長年の憧れであり手放すことがどうしても出来ず、1本か2本のコードを残し、他は全てタダ同然で中古屋さんに行くことになりました。
しかし、コードで少々誤魔化しても結局そのアンプは最終的に彼の満足する音ではなく、同類の球を使った私の6550パラレルPPの、自然でさらっと抜けた広帯域のアンプを気に入ってくれ、「ユニゾン・リサーチ」の845パラレル・シングルも持っているので、いっそのこと別ページ「オリジナルアンプ」の845パラレルPPを、ということになり、完成後6550と聴き比べて最終決定することとなっている。
しかしこの様に追求していくと、クラッシクでは流石に多数の楽器が同時に鳴る場合がたくさんありますのでバランスを重視していますが、JAZZの場合はひどいもので上っ面の迫力ばかり追いかけて横一直線のマスタリングが非常に多いことに驚かれると思います。この点に関しては各社のエンジニアに特に聴いてみたいところですが、ちょい聴きのコケオドシの迫力しか考えていない、音楽の深さも知らず、一曲の起承転結を意識できないエンジニアは即刻現場を離れ、ただ音楽を聴き、感動するということはどういうことなのか考え直された方がよい。強弱の感じられない横一直線の「こけおどし」の音で、音楽の「うねり」も感じられず、息苦しさを覚えつつ一枚のCDを聴き通すのは楽しみどころか苦痛でしかない。
いずれにしてもアンプ作りに於いてはできるだけバランスよく、レンジの広いものを目指しています。ベースの音がたるんでいるソフトで締まった音にしてみても、じゃー最初から締まっているソフトはどうなのか?ということになりますし、更にベースは締まったが中・高音は?ということもあり、全てのソフトが良く鳴るアンプなどある筈もありません.。
ある評論家のお宅で、横一直線のソフトが奥行き感があるように再生されていて、やっぱり鳴らし方だ!
という記事があったが、それでは最初から奥行き感の感じられるソフトは一体どのように鳴ったのであろうか?あまりに短絡的である。
無帰還、或いは少量のNFBで、レンジの広いアンプはどの帯域でも強調感がなくなります。しかし音の分離、奥行き、音場の広さ、切れ込み、躍動感がきちんと出ますので結果的に抑えた表現の中にも迫力、うねりの感じられるようになります。小型のSPでも実はこういうアンプで鳴らすと混変調が減り、抜けのよいサウンドが得られます。ウッド・ベースの量感も100Hzから200Hzあたりです。バスレフのチューニングはその下ですから、誇張感のない量感も出ます。過渡応答の悪いアンプで鳴らすと中年のお腹の様に一聴量感があるように聴こえますが、何よりも100Hzから200Hz辺りのSPの負担が軽くなり、300Hzから600Hz辺りのこもり、かぶりが減り、中域から高域の抜けも良くなり、それぞれの音の表情が豊かになります。
タンノイのウエストミンスターをお持ちの方は、何か低域の対策をされてますか?と必ず聞かれます。置き台やインシュレーター、コード等で悪戦苦闘とのこと。私はそういうアクセサリー?を使用したことは一度もありません。硬い木で充分です。しかもウエストミンスターは直置き。このSPらしく低域は量感ありますが、こもり等は感じません。勿論軽量のSPなら重しも必要でしょうが。
いずれにしても、クラッシクの記事でさえ「良い音と良いサウンドは違うんだねー」などど書かれること自体軽薄そのものであり、個性と自分勝手を混同したレベルで作られたソフトが良く鳴らなくても自分の技術力を嘆くこともないと思います.。
アナログプレイヤーとアームの音質評価についても不思議に思っていることがある。ハウリングマージンを別にすれば、まあ10万円以上の機器(アーム付きの完成品)で、そこそこの重量あるなら音質の違いは90%以上アーム内の線材と、出力コードにあると思っている。例え少々の違いがあったとしても、録音状態の違いから観れば、微々たる事である。
昨今、コードによる音質の違いはどなたも周知のことであり、ラインより更に微小域で問題があるのは当然のことと思われるし、これを抜きにして、アームやプレーヤーの音質を語るのはナンセンスである。
マイクロの8000Uを買ったのは、時に大音量でフリージャズを聴くのにハウリングマージンが、それまでの、同じくマイクロ製1500シリーズではもう一歩だったからであって、小、中音量では音質に違いは無かった。あまり期待はしていなかったが、やはり少々がっかりではあった。
家人には1/10の値段と偽って買ったSMEのシリーズVとテクニカのAT1501を付けているが、実際の価格は6対1、音質の違いは確かにある。まず、少し反ったレコードではテクニカのトレース能力は低い、しかし吸着すれば問題ない。ただ当初からSMEは多数の楽器がFFで同時に鳴る時、団子状に聴こえ、アンプの回路上の問題かと思ったが、ある時アームのカタログを見ていてテクニカの内部配線はPCOCC(現在はただの6N)であると知り、いずれにしてももう一つ使いたいカートリッジがあったので、もしや、と言うより確信を持って購入した。残念ながら?テクニカの方が私には広帯域で自然なバランスに聴こえた。SMEの様に音量を上げた時の突っ張った帯域もない。SMEは仕方なく外部配線にし、やっと同様な音質となった。内部をきちんと交換したいが、そうこうしている間に配線材は生産中止になった。3km以上なら特注出来るとのこと。全国のアナログファンで・・・・・・・・・・・・。
余談ですが、器用な友人が、自分の古くからの名機と呼ばれるSMEの301?の線材を交換しようと分解したところ、線材の被覆はボロボロ、心線の表面は茶色に変色していたとのこと。音質も良くなったが、いずれにしても古い物のメンテナンスの必要性を痛感したとの事。
以上、マルチアンプシステムについてもマルチにすると音が明確に鳴ると言うが、CDで20KHzで急激なフィルターが入るのと同じで、各帯域にこれが入る為、倍音の再生が難しくなり、ただきつい音(明確?)になっただけではないのか?勿論SPの混変調(アンプ内も同様)は減っているだろうが・・・・・と、こんなことも書きたくなり何時までも終わりそうにありませんのでこれぐらいにします。
営業中は小音量でBGMを掛けていますが夜10時半頃ご来店下されば第一客室にあるメインSPを鳴らせます。ただ洋食屋を営んでおりますので仕込みの具合もあり興味のあられる方はあらかじめお電話にてご連絡下さい.。
このHPは音楽ファンの為に書きましたので、できるだけ理論的な語句、追求は避けました。リチャード・ドーキンス氏の言われる「科学的思考だけが信頼に足る」というのは、一理ありますが、音楽に限って言えばそればかりでもないと考えています。勿論氏も其処までは言われないでしょうが。アンプの音質についても「佐久間氏」の言われる「測定器の奴隷ではない」という言葉に同感です。
少なくともクラシック音楽を聴くということは、奏者のテクニックから生まれる多彩な音色、余韻や反響から質感や温度のようなものを感じ、それらが連続的に連なって一つの曲となることを知ることでもある。単に情緒的と言われようと、奏された音の余韻を含めた、表現の為の一瞬の芸術的なテクニックを聴こうとする者にとって、明らかにアナログ録音に優位性を感じるということ、測定値では説明のつかない芸術の域、其処にこそデジタルの問題があり、真空管があり、「怒り」のページがある。
尚、専門的に詳しい方は「真摯なご意見箱」の方にご投稿ください。
以上、異論・反論多数のご投稿お願い致します。
<トップ <怒り・T <怒り・U <怒り・V <フォトギャラリーT <U >試聴会の記事 >オリジナルアンプ