[音楽ファンの怒り」・・・・レコーディング・エンジニア、プロデューサー、そして企業に問う。
レコード芸術誌2003年1月号『録音芸術の過去と未来、あるプロデューサーの発言」と、『今月のリマスター盤」を読んで、まるで我々リスナーが何も感じていなかった様な表現があるので、CD発売以来の失意のどん底から、限りなくゼロに近い期待と、CD購入の度に味わう失望と激しい怒りを記してみたい。
そもそも、0と1でサンプリングするという、言ってみれば「間引き」をした信号で、録音「芸術」を語ることができるのか?という根本的な問題、間引きをした「芸術」などというものが、はたして存在するのか?ということを記するべきかもしれないが、それではあまりに難しくなる。そこで、できるだけ電気的、技術的な言葉は避け、門外漢の方にも共通する感性「そう言われれば・・・」に訴えるよう真面目な怒りに満ちた戯言を書いてみたい。
先日もクラッシク愛好家の面々と話題になったのであるが、全ての人が購入枚数が減っていると言うのである。はっきり言ってCDでは感動しないと言う。私も一枚のCDを5分から10分聴いているとイライラしてくる。ピアノも弦も多彩な音色が聴こえない、ただ音階とメロディーが聴こえる、と言う感じである。そんな時LPレコードを聴くと求めていた音色というものが聴こえるのである、アンプもスピーカーも同じなのにである。CDは20KHZ以上の音が入っていないからとよく言われるが、実はそれだけではない。低音から高音まで要は倍音が少ない、あるいはサンプリングにより途切れているので楽器本来の音色やハーモニクスが再生され難いのである。CDが何故特に高域できつい音がするのか、急激なフィルターが入るので20KHZ以上の倍音がなくなるからである。しかし元々高音はきつい音であるから目立っているだけで、中音も低音も同じように倍音は欠落している。
例えばチェロのソロでデジタル音は厚みのある音に聴こえるが、のっぺらぼうでとても弓と弦がこすって出た音とは思えない。チェロのCDを聴いてるという先入観があるからそう思うだけである。ヨーヨー・マは楽々弾いているように聴こえる、確かに彼は上手い! が、スタジオの外の微かな音も拾ってしまうという現代の録音技術に於いて、こする音が聴こえないというのも可笑しな話で、きちんと入れるとただきつい音がするから少し誤魔化しているに過ぎない。それともヨーヨー・マはこすらないのか?レコードかアナログマスターからのCD化、リマスター盤と聴き比べれば一聴瞭然である。アナログ録音のライブも持っているが、ヨーヨー・マもこすっている。ライブ故に音色も多彩。前から5列目で生の彼を聴いたこともある。10メートルも距離はなかったと思う。無伴奏を録音するのにマイクがそれ以上遠くにある筈もない。
ピアノ独奏を数小節聴く。殆どのデジタル録音は強打の場合のみ音色が変わる。それ以外は殆ど少々の音量差のみ。バイオリンも同様。昔からレコードを聴いてきた人も、慣れというものは恐ろしいもので、何時の間にか、それぐらいの変化しか無かったかのように「聴く」という行為がメロディーのみに陥ってしまっている。
もう一度レコードを聴いてみて、この差を聴き取れないなら即刻機器を変えるか、ご自分の聴覚を疑ったほうがよい。勿論美しいメロディーが聴ければそれで充分という方には関係ないかも知れないが、もしそのメロディーが実は多彩な音色で弾かれており奏者の日々の修練の厳しさ、感情の起伏も聴き取ることができるなら、一つの美しいメロディーから受ける感動は更に深くなる。
私のもっとも好きなピアニスト「ミケランジェリ」。しかしLPの末期、デジタル録音のブラームスとシューベルトのレコードから「ミケランジェリ」ではなくなった。どんなに速いフレーズでも最後の一音までコントロールされた磨き抜かれた音。そして単なるピアニッシモでなく、あのくぐもった音色。間の取り方、フレーズからフレーズへの、誰にも真似のできない音楽の呼吸は「ミケランジェリ」そのものであるが、決して他のピアニストからは聴こえることのない多彩な音色、グラデーションは消えてしまった。その後BT/P協3番が出た、これはアナログ録音、ライブということもあって音場感もあり実に音色が多彩、CDでも購入したが充分聴ける。総じてアナログマスターからのCDは充分聴ける。
指揮者チェリビダッケ。彼独特のあの「ふわっと」した弦の歌わせ方。いくようでいかない執拗な粘り。テンポの遅い事は有名だが、演奏が破綻することはない。最後まで聴覚と感性を保つことができる人にのみに与えられる聴き終えた後の至福の時。しかしミュンヘンフィルとのデジタル録音からは「ふわっと」が殆ど聴かれなくなった。何とも言えない揺れと余韻が消えている。これではテンポが遅い故に印象が悪い。
アナログマスターはテープだから、ワウ・フラッターでは?というのは、技術者の短絡的な考え方だ。
わざとらしい付け足しのエコー?、「ふわっと」には多彩な音色、倍音が必要だ。少しこじつけだが、ワーグナーの「半音階主義」。全て開放せず次へ、というのに似ている。
今後コストの関係からも、ライブ盤が増えていくと思われるが、多彩な音色に関してはスタジオ録音よりかなり有利と感じている。PCM放送の「ミュージックバード」でBBCライブを聴かれたら、言わんとするところ理解していただけると思う。放送はCDを上回る48kHz・16ビットで送られてくる。
この番組ではヨーロッパ各地のホールでの一流演奏家のライブが聴けるのだが、時間が余った際、市販のCDを掛ける。するとこれまでの音が嘘のように、天井の低い狭い部屋で、強弱のみの音、といった空間の感じられない音に豹変する。広い空間と多彩な音色はCD-Rに録っても変わらない。スタジオ録音と比べてマイクの位置など、条件が悪いと思うが、この音の違いを録音技術者の方はどのように思われるのだろうか。
いずれにしても個人的にはライブ録音が増えることを歓迎すると共に、グールドに代表されるような「つぎはぎ」だらけのソフトが少しでも減ることにも期待している。
あのようなソフト「ゴールドベルグ」が名盤と評価されることに疑問を感じるし、私個人としては、レコードの曲間の時間も含めて、音楽の自然な流れ、つぎはぎが少なく感じる初期の録音の方に軍配を上げる。確かに音そのものは後期の方が表面上は良く聴こえるが。
因みに私の愛聴盤は「マリア・ティーポ」。
勿論古い録音にはバランスの悪いものもあるし歪っぽいものもある。綺麗な音が良いにこしたことはないが、それはあくまでも表面的なことであって、少なくともクラッシック音楽に於いてはもっと深い聴きどころがあるように思える。前記した様に「わざとらしいエコー」で楽器の音の実体感が乏しく、スタジオやホールの「空気」というものが、今聴いているこの場所の「空気」と化学的?に同じものであれば、もっとSPから音はさらっと放たれたように感じても良い筈であるが、デジタル録音の音は決してそういう風には聴こえない。再生装置のレベルが上がれば、古いアナログ録音から聴こえる「空気感」は例え汚染はひどくとも、現代の、この部屋の「空気感」と近似となり、音はSPからさらっと離れ、この部屋の空気の中で消えて行く。ただその様に聴こえることを念頭に趣味の真空管アンプも作り続けて来た。
いくら録音されたものとは言え、例えばディーリアスの音楽に自然な空気感を聴き取ることができないようなデジタル録音に一体何の意味があるというのだろう。
ブルックナー第8番3楽章。静かな暗闇、星たちの光の中で彷徨いながら、遥か宇宙の彼方へ誘われるようなこの楽章。折り重なる弦、美しいハープ、抑えた管楽器群。ブラームスやマーラーのように暗い気分はない。あくまでも澄んでいるが故に古今の交響曲の中でも、随一無二の楽章であり、至福の30分弱。しかしデジタル録音になってからライブ録音を除けばこの空気感を味あわせてくれるソフトに出会ったことはない。
私の聴きたいのは一聴押し出しの強い、ベール(偽りのそれらしい艶)の被った音ではなく多彩な音色、それを決定するであろう倍音、そしてそれらの余韻が消え入る音場感、空気感である。表面的な美しいメロディーと強弱の音だけでは充分ではない。空間に放たれ、いつか消え行く自然な音の響きが、どうしてデジタル録音では捉えられないのか。なぜ大切な倍音や音場感を切り捨てる録音方式を選び「わざとらしいエコー」を加え、尚、DA変換の際、補間などという誤魔化しをせざるをえないのか。
売り上げが落ちても自業自得であろう。長い間アナログを聴き続けた耳にはのっぺらぼうな音で感動が薄いのだ!
古い録音でも良好なレベルで録音されたレコードの音は、例えば、ピアノでもバイオリンでも少しオーバーに言えば彼らの耳の位置での音が聴ける。
ライブ至上主義の人達はこの点を誤解している。レコードで聴くほうが実は奏者の細かいテクニック、つまり解釈が聴ける。ライブであればステージ上でしか聴けない音なのだ。
昔から、購入したソフトは最初に一度必ず灯りを消して聴いてきた。音楽そのものを聴く場合、実は視覚は邪魔なのだ。単純細胞の私はこうしなければ集中できない。
しかしデジタルの時代になって二度と聴かないソフトの割合は格段に増えた。それどころか、一曲か二曲、或いは第一楽章の途中でストップしてしまう。理由はただ一つ、細かなニュアンスが聴こえないのだ。
最新のデジタル録音で、やっぱりウイーンフィルの音!とか、誰それ作のVn、やれスタインウエイのピアノの音!などと言われる方が居られるが、例えレコードでもウイーンとベルリンフィルの音の違いを私は聴き取れない。録音条件を加味すれば、あらかじめインプットされた情報による思い込みに過ぎないように思う。しかし色々な雑誌等の録音評ではいかにも聴き分けているかの如く書いてあるし、個人のサイトでも見かける。少なくとも録音機材が同じで.、同じホールで楽団員だけ入れ替わってのことであれば納得もいくが、このオケの弦の音色はどうのこうのと言われると、再生装置のコード一本でも変わるのに、何とも理解に苦しむ。
例えば最近人気の高い「ヴァント」の「ブル8番」。ベルリンフィルとミュンヘンフィルの二つの録音。ミュンヘンフィルはライブ録音。こちらの方が倍音が多く、弦がほぐれているし、管もそれらしい。総じて空気感も感じられてさらりとして音離れが良い。高域の抑えられた(天井が低い?)感じも少ないし、抑揚感も自然。ベルリンの方は極端に言えば団子状。弦が少し太くて硬いのではないか?と思わせるほどで、fからffにクレッシェンドするに従い弦の音色が金臭くなる。この場合ミュンヘンは南だから爽やかで音抜けが良く、ベルリンは北だから暗く重い、それがオケの違いだ、などと冗談にも言えることではない。いずれにしてもオケの違いを云々するなら最新のデジタル録音など聴ける筈もないと思うのだが?。
ただ、いずれにしても「ヴァント」の演奏は「チェリ」のように「揺れ」がなく私としては不満が残る。
イダ・ヘンデル(vn)がバッハの無伴奏を録音した際、アナログとデジタル両マスターを作りプレイバックした。デジタル録音側の技術者でさえアナログマスターの方が感動すると、その場に居た人全員がそう答えたそうである。デジタルのエンジニアはどうしても理由が解からないと言う。勿論CD化にはアナログマスターが使われたとのこと。
スーパーアナログディスクを製作しているキングの高和さんが同じ演奏をアナログとデジタル192KHZ、24ビットで録音し、レコードにカッティングしたところ、アナログマスターの方は内周で苦労したが、デジタルはいとも簡単にできたという。つまりデジタルの方が情報量が少なかったのである。もう一つ、例えばデジタルでボレロを聴くと、出だしのピアニッシモとラストのフォルティッシモの差が少ない。つまりどのような演奏に於いても抑揚感が抑えられたように聴こえるから演奏の「ノリ」が希薄に感じられる。グールド(p)を聴くとハミングがよく聴こえるから解像度が高いなどという人がいる。これは再生装置の問題もプラスされるが、要はピアニッシモを上げフォルティッシモではリミッターが掛かっているに過ぎない。デジタルのサンプリングが実は低レベルの信号に弱い!ということも頷ける。
音楽の「ノリ」というものが実はリズムだけでなく抑揚感によるところが大であるということを再認識すべきである。何か物足りないと感じてボリュームを上げると、音が、特にFFで団子状になって、スピーカーにへばり付いている。勿論アナログ録音でもリミッターは掛かっているが、アンプが良ければ倍音が豊富なせいもあり、音離れが良く、空間に音が放たれるから、聴いた感じは随分違う。
NFB(帰還)のたっぷり掛かった厚化粧のアンプで「奥行きや音場感」に云々する記事もよく見かけるが実にナンセンスと言う他ない。抑揚感の抑えられたアンプでJAZZを聴く、無論肝心のスウィング感は実際にソフトに記録されているものよりずっと少ない。
上記のようなアンプで聴かれていた方が、良質の無帰還、或いは低帰還のアンプを試聴する時、曲の出だしのボリュームの位置に最初戸惑った、とよく言われる。何時もの音量にセットすると、ffで思ったより大きな音になるので慌ててボリュームを下げるとのこと。
しかしそこで解ったことは、これまでpのレベルと思っていたが、実はpp、或いはpppで奏されていたということ。一体これはどういうことなのだろう。せめてこのような再生音で聴かなければ少なくともクラシック音楽に於いて、一枚のソフトに記録された練り上げられた解釈を聴ける筈もない。
ジャンルは違うが、昔井上陽水が好きだったという友人が車にカセットデッキしか無いので昔の曲の入ったCDをダビングしてくれという。しかし音を聴きながら何か違うと言う。歳を取ったからだよ、と言うと、否違うと言う。レコードを持っていたので掛けると、「これだ!スーッと伸びる声と楽器、この感じが出ないと」、やっぱりCDは駄目だねーと一言。「クラッシックは難しくて」という彼だが音楽を聴くポイントは心得ている。
高校生の息子さんとご夫婦が来られて、AVルームを作りたい、しかし音楽もきちんと聴けるようにしたいと。レコードを聴かれないならアンプはAVアンプで十分ですと答えた。不思議そうにされたのでCDとレコードでピアノ曲を掛けた。ピアノを習っている息子さんが、CDの方が音が良いと思っていましたが、レコードの方がずっとピアノらしいとのこと。文中プロデューサーの顔が見えていないというくだりがあるが、名プロデューサーならまずアナログマスターにすべきである。これが一番重要な最初の仕事ではないか?イダ・ヘンデルの時の様なプロセスが一体どれだけの現場で行われているのだろうか?怠慢としか思えない。少なくともクラシックを録音される現場の方はそれぐらい聴き取れると思うが、芸術の域にある奏者の修練を記録をするにはあまりに軽率と言わざるを得ない。0と1、これで事足りると思っておられるのか?
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